絶景で神頼み

庭への思いが扉を開く

人生100年の羅針盤オフライフ 2022年(令和4年)11月25日

阿讃山脈の山並みと吉野川を借景とする枯山水。左から亀、鶴、舟を表す青石が、砂紋の中に浮かぶ。

記事内容
 
四国の中央を西からひがしへ流れる吉野川。その中流域に本楽寺はある。
1995年、当時の住職、吉田宥勝さん(74)はひとつの決断をした。枯山水の庭を囲む築地塀のうち、吉野川に面する北側約25mを撤去したのだ。無茶苦茶なことを徳島の言葉で「ごじゃ」という。「ごじゃしよる」と周囲は心配した。塀の高さは1mほど。「あれを取ったら、客殿から見える景色がまったく変わりました」と回想するのは宥勝さんの息子で、現住職の宥玄さん(46)だ。「以前は山並みしか見えなかった。撤去後は広々した川が視野に入り、壮観というか、立体感が出てきた」 撤去の理由は台風で塀の一部が壊れたためでもあった。禍を転じて福となすか。2018年「四国八十八景」のひとつに選ばれた。
 客殿の廊下に座り、阿讃山脈と吉野川を眺める。雄大な借景に心が開放される。手前の枯山水には左に亀、中央に鶴、右に舟を表す自然石が置かれている。地元の特産である「阿波の青石」だ。石の間から川面を飛ぶシラサギの姿が目に入った。
 この枯山水は31年前に京都の作庭家、齋藤忠一さんがつくった。齋藤さんは作庭に革新をもたらした重森三玲の弟子だ。阿波の青石を好んた師匠とともに徳島の山中を頻繁に訪れ、石選びをした。その縁で本楽寺の庭も手掛けることになった。
 本楽寺の住職親子が庭にかける思いは熱い。「過去20年間、毎年のように京都や滋賀の寺を巡り歩いて庭を観察した」と父親の宥勝さん。息子の宥玄さんは80歳を超す齋藤忠一さんと酒席をともにし、弟子を自任する。「齋藤さんの指導を受けて、今もあちこちに手を入れている」。青石で石垣をつくり、敷石を整えるなど土木作業に汗を流す。
 阿波の青石は本楽寺のみならず、徳島県下のさまざまな場所で使われている。たとえば徳島城跡の石垣は多くが青石だ。かすかな緑色が味わい深い。四国大学の須藤茂樹教授(58)はその美しさに魅せられたひとりだ。東京出身で高校生の頃から庭園巡りが趣味。長く市立徳島城博物館の学芸員を務めてきた。
 「特に雨が降ると青石はしっとりとして、渋い落ち着いた色になる。きれいですよ」。青石の文化を世に知らせたいと「大学的徳島ガイド こだわりの歩き方」(昭和堂)の編集・執筆にも加わった。
 さて昼食の時間。本楽寺対岸にある「うだつの町並み」に向かった。江戸時代、藍の集散地として栄え、今も商家跡が軒を連ねる町だ。瓦屋根に火の粉を防ぐ袖壁「うだつ」を設けている家が続く。
 お茶処「茶里庵」で郷土食、そば米雑炊を注文した。ソバの実をそのまま食べる雑炊で、麦に似た白く丸いつぶつぶは独特の食感だ。
 帰路、先代住職の言葉を反すうした。「庭で大事なのは掃除を怠らないこと。作庭家の齋藤さんから繰り返し教えてもらいました」。美の基本が、そこにあるのだ
と。


(ライター 須貝道雄)